キハ58 467 → キハ58 7203




数あるキハ58系の室内改造車の中で、唯一近郊化改造車からリクライニングシート車へ改造された車。

1963年8月27日富士重工製の5-2次車で、昭和38年度民有で松本運転区に新製配置された。同一ロット466〜468全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかし、1965年5月20日には中央東線全線電化が完成し、早くも大量のキハ58が余剰となってしまった。この際当車は美濃太田へ転出することになり、同ロットの兄弟共に1965年度中に移動した。美濃太田では高山本線の急行「のりくら」を中心に運用され、1970年代中盤には冷房化された。その後も引き続き高山本線の急行用として国鉄末期まで活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の一部特急格上げにより余剰となり、当車は老朽化した七尾線の初期車を淘汰するために1986年10月28日付で七尾へ転出し、そのままJR西日本へ継承された。JR化直後の1987年度には近郊化され、七尾線・能登線で使用された。1988年3月の能登線第三セクター化により余剰となりしばらくは余剰となっていたが、1988年9月10日付で客車列車置き換えのため福知山運転所へ転出、山陰本線京都口の普通列車で使用開始した。この時期には山陰本線保津峡付近の新線開通に合わせ大量のキハ58系が福知山に集まってきていた。しかし福知山での活躍も束の間、1990年3月には山陰本線園部電化開業し、1988年9月に福知山に集結したキハ58系は早くも大量に余剰が発生する。当車はしばらく予備車・保留車となり在籍していたが幸運にも急行「丹後」のグレードアップ指定席の種車に抜擢され、1991年度中に「キハ58 7203」へ改造された。改造後は指定席車として急行の先頭に立ち活躍したが、1996年3月改正で山陰本線電化により急行は全廃され、1997年7月8日付で廃車となった。廃車後はタイ国鉄へ譲渡された。

急行「丹後」の指定席改造車では唯一の、名古屋顔した車両である。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのスリット状のままである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。正面窓上の通風口・水切りは原型のままである。放送ジャンパは、ステップの下に設置されている。当車の特徴は種別表示幕横の「架線注意」の札で、長野・松本地区固有の、正面窓上小手すりにぶら下がる形態のものを残しており、松本時代の名残であった。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは福知山地区の標準。その他はほぼ原型である。
屋根上はアコモ改造時に、通風器がJR西日本更新車特有のハーフガーランドに交換されているが、水タンクは原型のままである。
床下は、ほぼ原型である。


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