キハ58 470




1963年9月14日富士重工製の5-2次車で、昭和38年度民有で松本運転区に配置された。同一ロットの469〜470全車が松本へ配置された。中央東線では2エンジン車による長大編成を組むことから早くから大量のキハ58型が投入されていたが、400番台の長大編成対応車が一挙に投入されると、それまで配置されていた0番台は各地に散るという同形式置き換えが早くから行われていた。中央東線ではもちろん急行「アルプス」をはじめとして、各支線区へ乗り入れる急行運用に使用された。しかし、1965年5月20日には中央東線全線電化が完成し、早くも大量のキハ58が余剰となってしまった。この際中部地区へ転用されるようになり、1965年9月に名古屋へ転出した。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」等、広範囲にわたって運用された。そして名古屋にて1970年代中盤に冷房化された。その後は名古屋担当の急行が次々に廃止されるも、残った急行「のりくら」用として国鉄末期まで活躍し、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き主に急行「のりくら」で使用され、キハ85系投入による特急格上げ後は1990年に塗装変更の上快速「みえ」で使用されるようになった。1993年にはキハ75系が投入され定期快速「みえ」からは撤退したが、引き続き多客期の波動用や武豊線の朝夕ラッシュ用として残留した。しかしながら1999年のキハ75・キハ11の追加増備によるキハ58系全廃計画により2001年1月15日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、後期車以外では名古屋地区では珍しく、前面補強が施工されていない。ワイパーも原型のWP35のままで正面窓下の手すりも原型のままであり、非常にすっきりした顔立ちである。タイフォンは当ロットオリジナルのスリット状のままである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。放送ジャンパは、名古屋地区標準でステップの下に設置されている。
側面は、ほぼ原型である、乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっているのが、名古屋の特徴である。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。
床下機器は原型であるが、すべて灰色で塗装されているのは晩年の東海地区の特徴である。


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