キハ58 472



1963年9月18日富士重工製の5-2次車で、昭和38年度民有で甲府機関区へ配置された。同一ロット471〜473のうち、471は松本へ、472・473が甲府へ配置された。甲府では従来配置されていたキハ55を置き換え、同時期に配置された445・446と共に急行「アルプス」の増結車として活躍したが、1965年10月の中央東線全線電化で早くも甲府を追われ、1965年10月2日付けで和歌山へ転属した。和歌山では増発の続く急行「きのくに」を中心に紀勢本線で活躍し、1970年頃には冷房化されている。「55-10改正」では381系増備により急行「きのくに」3往復が特急「くろしお」に格上げされ、この際に余剰となる。当車は山陰地区で非冷房のまま残っていたキハ58を駆逐すべく、1980年10月15日付で米子機関区へ転出した。この時、和歌山から219・312・472が、宮原から463が米子へ転入し、米子から非冷房の643・1040・1124・1130が捻出され亀山及び美濃太田に転出している。米子では急行「だいせん」をはじめ山陰本線の急行で使用されていたが、1982年7月の伯備線電化後は運用に余裕が出ており、当車は美濃太田に残存していた非冷房キハ58を置き換えるべく1983年10月28日付で美濃太田へ転属した。美濃太田では急行「のりくら」をはじめ高山本線・越美南線の普通列車で活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「のりくら」の減少により同運用が全て名古屋へ移管されたことや、越美南線の廃止により余剰となり、中期車の冷房車ながらJRへ継承されず、1987年2月9日付で廃車となった。

名古屋・美濃太田に多い400番のキハ58であるが、転入車であるため形態は全く異なる。
前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりが短くなっているなど、関西標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置はタイフォンの下部で左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面はおおむね原形であるが、運転席側窓にバランサー点検蓋が追設されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。
床下は、ほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る