キハ58 473



九州では珍しい、400台のキハ58型

1963年9月18日富士重工製の5-2次車で、昭和38年度民有で甲府機関区へ配置された。同一ロット471〜473のうち、471は松本へ、472・473が甲府へ配置された。甲府では従来配置されていたキハ55を置き換え、同時期に配置された445・446と共に急行「アルプス」の増結車として活躍したが、1965年10月の中央東線全線電化で早くも甲府を追われ、1965年7月度に一旦房総地区海水浴臨用として千葉へ配置された後、1965年9月4日付けで鹿児島へ転属した。甲府時代の他の仲間は和歌山へ転出しており、当車のみが遠く鹿児島へ移った。キハ58の400台は中部山岳地区配置車が圧倒的に多く、九州へ移った車両は珍しかった。鹿児島では急行「フェニックス」等、鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で使用され、1970年度には冷房化改造実施された。「50-3改正」では幹線急行の格上げが相次ぎ、当車は肥薩線の急行「えびの」増強のため1975年3月11日付で都城へ転出する。その後長らく都城で「えびの」に使用されたが、国鉄末期の「60-3改正」で編成が短縮され、当車は鹿児島地区のローカル輸送体質改善のため1985年3月15日付で鹿児島へ里帰りした。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後は1988年8月2日付で近郊化改造及び九州色への変更が行われ、ローカル専属となった。1992年3月27日にはワンマン化改造され、主に鹿児島本所で指宿枕崎線を中心に使用された。そして2000年以降当面使用される車両として2001年3月14日に汚物処理装置が取り付けられた。しかし2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

九州では珍しい400台のキハ58であるが、中部山岳(甲府)時代の面影はない。
前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態であるが、助手席側のステップが無くなっている。放送用ジャンパ受栓は、当初台枠付近に設けられていたが、後にJR九州化後の鹿児島工場標準である、助手席側タイフォンとレールライトの間へ移設されている。但し、旧の受栓も撤去されずに残っている。タイフォンカバーは、九州では珍しく、原形のスリットタイプを装備する。正面窓上の雨どいと通風口が撤去されており、末期の鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。貫通扉には快速で使用していたヘッドマーク掛けが残っている。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原形である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また乗降扉の戸袋点検蓋が後期車と同様の横長のものに更新されている。近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、運転台側のみという異端車。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。更新車であり、側面乗降ドア点検蓋が、後期車と同じ横長のものに変更されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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