キハ58 475



1964年2月6日日本車輌製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット474〜476全車が名古屋へ配置された。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」等、広範囲にわたって運用された。新製後長く名古屋で活躍したが非冷房のまま冷房化されること無く過ごし、「53-10改正」で急行「きそ」「ちくま」「ゆのくに」「越後」が電車化された際に余剰となり、1978年9月18日付で盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」を始め、山田・釜石線へ入る急行で主に使用されたが、「57-11改正」で急行が大幅削減された後は山田線・釜石線・山田線のローカル輸送で活躍した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は1988年10月に盛岡色へ変更となり、引き続き普通列車を中心に活躍した。しかし1990年より始まったキハ110系投入により余剰となり、1993年9月1日付で廃車となった。なお廃車後はサハリンへ譲渡された。

外観は名古屋時代の名残は少なく、盛岡の影響が強いものになっている。
前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去され、東北地方ではよく見られた形態である。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形であり、乗降ドア下部の埋められ存在しない。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
床下では、複線用スノープロウを付けている以外はほぼ原形である。


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