キハ58 476




1964年2月6日日本車輌製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット474〜476全車が名古屋へ配置された。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」等、広範囲にわたって運用された。1972年には金沢と名古屋で車両交換があり、1972年6月6日付で金沢運転所へ転出した。金沢では北陸本線の急行「ゆのくに」等で使用された。「53-10改正」で北陸本線の急行「ゆのくに」が電車化され、金沢配置車は急行「能登路」へ転用することとなり、1978年10月2日付で七尾へ転出した。七尾では前述の急行「能登路」のほか七尾・能登線の普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化直後の1987年度には近郊化され七尾線普通列車専属となり、1990年1月23日には「七尾普通色」へ変更された。1991年の七尾線電化による北陸地区の大幅な車両移動の際には、高山本線の冷房化・ワンマン化のため、1991年9月度に富山へ転出、1991年11月22日には高山線用ワンマン化された。この際に緑色ベースの高山色へ変更された。高山本線北部は1996年3月のダイヤ改正でキハ120化され、当車は非冷房車や運用効率の悪いキサハ34を置き換えるべく高岡鉄道部へ転属し、氷見・城端線で使用されるようになった。また転属後すぐに白・青・黄の「高岡色U-2」へ変更された。しかしながら、1999年10月の舞鶴線電化により福知山からキハ58系モデルチェンジ車が高岡に転入し、車齢の高い当車は2000年3月31日付で廃車となった。

外観は、金沢時代の影響が色濃い形態をしている。
前面は、前面補強がされているが、鉄板の境界線が滑らかに仕上げられた金沢によく見られるタイプである。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが撤去されているのは金沢固有の形態である。タイフォンはスリット式で落成しながら、金沢時代にシャッター式に改造されている。テールライトは、運転室側のみ外ばめ式に更新されているのは、金沢地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置は、左右離れた位置に移設されている。正面窓上の水切り・通風口は撤去されている。放送ジャンパは、ワンマン化で1本増え、2本が向かって左側のタイフォン脇に収まる。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されており、乗務員室窓に水切りが追設されてる。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の金沢地区の特徴。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっており、名古屋の特徴であった。
屋根上は、全ての通風器が冷房車標準の押込み通風器のままである。また水タンクは台形のものに更新されている
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。金沢時代に北陸本線でしようされることから、複線用スノープロウを付けており、このままの形態で最後まで使用された。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る