キハ58 477



言わずと知れた、最後の定期運用に使用されたJR西日本 北陸地域鉄道部のキハ58。

1964年2月12日日本車両製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務。同一ロットでは477〜479が揃って名古屋に新製配置され、長大編成用であることから、中央本線の急行「きそ」や、紀勢本線の急行「紀州」を中心に使用された。兄弟の478、479は名古屋に留まっていたが、当車は中央西線の電化に伴い1972年度に美濃太田へ転出、急行「のりくら」等の高山本線急行をメインの活躍場とした。1986年10月30日には、越美南線の廃止や急行の削減により所要数が減ることから、若番車が多かった七尾機関区へ転出し、同区の若番車と交代した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は近郊化改造され塗装も七尾普通色となり、普通列車で使用された。1991年の七尾線電化に伴い富山鉄道部へ転出し、グリーンの高山線色となり再び高山線を活躍の場とした。その後高山線のキハ120型化により1996年3月16日付で高岡鉄道部へ転出し、氷見・城端線を活躍の場とした。転入当初は白色ベースに青と黄色の高岡色U-2となったが、2000年頃から赤色ベースの高岡色Vへ変更された。しかしながら氷見・城端線は各地からの余剰キハ40系により徐々にキハ58系は置き換えられ、当車も置き換え間近となっていたが、高山線の増発社会実験用車両に抜擢され、三度高山線で活躍すべく、2007年4月1日付で北陸地域鉄道部へ転出した。その後、最後の定期運用キハ58系であることから急行色へ塗り戻され、社会実験終了まで活躍した。そして実験の終了した後2011年10月11日に廃車となり、寿命を全うし解体された。車齢は実に47年8か月であった。

外観的には、急行色を纏っているものの全体的に細かい改造点が多く、原型からはかけ離れた状態である。
前面は、正面窓上の通風口が埋められている。前面補強は名古屋地区タイプであるが、ワイパー更新時に手すりは少し下がったのみで、名古屋地区もしくは金沢地区の特徴を見せない、特殊な例となっている。制御ジャンパ受栓も、タイフォン側に寄った位置になっており、名古屋地区の特徴は薄れている。放送ジャンパは、ワンマン化で1本増え、2本が向かって左側のタイフォン脇に収まる。タイフォンカバーは当ロットからシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されており、乗務員室窓のみに水切りが追設されているのは、金沢地区の共通事項。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのも、金沢地区の特徴。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。
屋根上はすべての通風器が撤去され、ツルツルになっている。水タンクは、金沢局から始まった更新タイプ(角型)である。
床下では、複線用スノープロウを付けており、これは後年(高岡の時)の施工であると思われる。床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴であった。また、油タンクは角型の新型に更新されている。


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