キハ58 485



九州では最末期まで非冷房で残ったキハ58の1両。

1964年4月10日日本車輌製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で青森運転所へ配置された仲間の1両。同一ロット484〜487では485・486が青森へ配置されている。青森では新設された急行「みちのく」を中心に幹線急行で使用された。しかし早くも1965年度には車両増備及び運用移管による転配が相次ぎ、当車は1965年度中に486とともに小牛田へ転出した。しかし翌1966年には弘前へ転属した。弘前では急行「みちのく」の大鰐編成で使用された。しかし東北本線の全線電化で急行「みちのく」が廃止され、一部仲間は盛岡等へ転属するが、当車は引き続き五能線直通の急行「深浦」等で活躍した。しかし1970年には新潟からの転入車と交代し、秋田へ転出した。秋田では急行「おが」「羽越」などで活躍したが、1973年には青森からの移管車が大量に秋田へ転入し、当車は水戸へ転出し磐越東線・磐越西線の急行で使用されるようになった。しかし1980年代に入ると水戸区のキハ58も他区から転入の冷房車で冷房化されることになり、1980年10月に徳島から転入の冷房キハ58と交代し、10月26日付で遠く人吉機関区へ転出した。人吉ではキハ55に代わり肥薩線・湯前線の普通列車で使用されるようになった。「59-2改正」では普通列車も減車が進み、単行のキハ52運用増加により余剰となり、1984年2月17日付で竹下気動車区へ転出し、特殊装備のキハ58 800番台と交代し九州北部で使用された。そして非冷房車ながらJR九州へ継承された。JR継承後は、1989年2月21付で一旦熊本へ転出するも、3月11日には大分へ再度転出し、豊肥・久大本線で使用されるようになった。また1989年9月8日付で近郊化改造及び九州色への塗装変更が行われた。その後も勾配路線の豊肥本線を中心に活躍したが、急行の縮小により冷房キハ58系が捻出されたことから余剰となり、1994年3月24日付で廃車となった。

前面は、前面補強未施工である。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、九州地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口・水切りは原型のままである。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。テールライトは水戸時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、撤去されている。九州へ移籍後、タイフォン脇のステップが撤去され、放送ジャンパ受栓も小倉工場標準のタイフォン上部付近へ移設されている。正面貫通扉には、「タウンシャトル」用の台形状のヘッドマークステイが取り付けられている。
側面ほぼ原形である。
屋根上もほぼ原形のままである。
床下も、ほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る