キハ58 487



1964年4月10日日本車輌製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で名古屋第一機関区へ配置された。同一ロット484〜487のうち、当車のみ名古屋へ配置されている。名古屋では急行「きそ」「紀州」「大社」「のりくら」等、広範囲にわたって運用された。新製後長く名古屋で活躍したが非冷房のまま冷房化されること無く過ごし、「53-10改正」で急行「きそ」「ちくま」「ゆのくに」「越後」が電車化された際に余剰となり、1978年9月18日付で一ノ関へ転出した。一ノ関では当時急行運用は持っておらず、キハ55系に代わり北上線や大船渡線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は1988年度中に盛岡色へ変更され、普通列車のほか快速「むろね」や新設された快速「南三陸」で使用された。そのため前面にこれらのヘッドマークステイが取り付けられていた。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され北上線・大船渡線がすべて置き換えられると当車は余剰となり、1993年2月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強は名古屋地区標準の形態で、東北では極めて珍しい。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴である。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去され、東北地方ではよく見られた形態である。放送用ジャンパ受栓は名古屋地区標準の、ステップ下部に台座付きで設置されている。制御用ジャンパ受栓は、冷房車と同じ左右離れた位置に設置されており、名古屋タイプの前面補強と共に非常に個性の強い形態である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、乗降ドア戸袋点検蓋が後期車と同じ大型のものに改造されており、名古屋地区でよく見られた改造である。
床下では、複線用スノープロウを付けている以外はほぼ原形である。


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