キハ58 489



1964年2月1日新潟鐵工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で新潟運転所へ配置された。同一ロット488〜491全車が新潟へ配置されている。同時期には急行「赤倉」等増強のため新潟には大量のキハ58増備されていた。当車は同一ロットの仲間とともに長く新潟で活躍し、「57-11改正」で急行「赤倉」が電車化されるのに伴い、兄弟そろって(488〜491)1982年12月1月付で直方気動車区へ転出し、筑豊地区ローカル線で、キハ55の置き換えとして普通列車を主体に活躍した。九州では1975年には、修学旅行用を除きキハ58系の完全冷房化を達成していたが、1980年に入ると老朽化したキハ55系の置き換えとして大量の非冷房キハ58系が転入しており、これらは主に勾配線区の普通列車で使用されていた。1984年2月2日には配置換えで竹下気動車区へ転出した。国鉄末期には、兄弟のうち491は廃車となるが、488〜490の非冷房兄弟は揃ってJR九州へ継承されることになった。JR化直後の1988年3月のダイヤ改正では第三セクター移管の決まっていた長崎との間で車両交換があり、長崎から冷房車が竹下へ転入し、竹下から当車を含む非冷房車が3月13日付で長崎へ転出した。長崎では松浦線で活躍したが間もなく3月31日で廃止となり、その後は保留車として在籍していたが1989年6月15日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、撤去されている。
側面では、新潟地区特有の乗務員室窓バランサー点検蓋が取り付けられている。その他はほぼ原形である。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下もほぼ原形である。


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