キハ58 495



1964年3月23日新潟鐵工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で新潟運転所へ配置された仲間の1両。同一ロット495・496両車とも新潟へ配置されている。同時期には急行「赤倉」等増強のため新潟には大量のキハ58増備されていた。当車は同一ロットの仲間とともに長く新潟で使用され、「57-11改正」での急行「赤倉」廃止後も引き続き「べにばな」「あがの」等の支線急行で使用されていたが、「59-2改正」での減車減便で余剰となり、1984年3月16日付けで盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」や盛岡周辺の普通列車で使用されたが、「60-3改正」で急行「陸中」の冷房化用に各地から冷房キハ58系が転入した際に余剰となり、1985年3月17日付で郡山へ転出した。郡山転出後は主に磐越西線・東線、只見線で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き前記の路線で普通列車で使用されたが、1990年以降のキハ110系投入により余剰となり1991年3月29日に新庄へ転属し、更に1991年9月13日にはキハ110系化が予定されていた中込へ転出した。これは中込のキハ58の一部が今後の転属を見越して機関換装等の改造を行っており、その予備車を確保するためであった。しかし小海線の完全キハ110系化された際に余剰となり、1993年9月27日付で廃車となった。廃車後はサハリンに譲渡された。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去され、東北地方ではよく見られた形態である。タイフォンカバーは新潟固有の竹槍状の筒を装備する。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、運転席側のみ設置されている。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が残存している。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新潟地区特有の蓋が取り付けられている。また当車は郡山時代に、車体中央客室窓間下にサボ挿しが取り付けられている。
屋根上は、水タンクが新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下は、複線型スノープロウを装備している以外は、ほぼ原形である。


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