キハ58 497



1964年4月10日新潟鐵工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で新潟運転所へ配置された。同一ロット497・498両車とも新潟へ配置されている。同時期には急行「赤倉」等増強のため新潟には大量のキハ58増備されていた。当車は同一ロットの仲間とともに長く新潟で活躍し、「57-11改正」での急行「赤倉」廃止後も引き続き「べにばな」「あがの」等の支線急行で使用されていたが、「59-2改正」での減車減便で余剰となり、1984年3月16日付けで盛岡へ転出した。盛岡では急行「陸中」や盛岡周辺の普通列車で使用されたが、「60-3改正」で急行「陸中」の冷房化用に各地から冷房キハ58系が転入した際に余剰となり、1985年3月14日付で一ノ関へ転出した。一ノ関では客車列車を置き換え、北上線や大船渡線で使用された。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は1988年度中に盛岡色へ変更され、普通列車のほか快速「むろね」や新設された快速「南三陸」で使用された。そのため前面にこれらのヘッドマークステイが取り付けられていた。しかし1990年よりキハ110系が大量投入され北上線・大船渡線がすべて置き換えられると当車は余剰となり、1992年12月1日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去され、東北地方ではよく見られた形態である。タイフォンカバーは新潟固有の竹槍状の筒を装備する。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、運転席側のみに設置されている。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。また前述の通り、貫通扉に快速「むろね」「南三陸」用のヘッドマ−クステーが取り付けられている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が残存している。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新潟地区特有の蓋が取り付けられている。
屋根上は、水タンクが新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下では、単線用スノープロウを付けている以外はほぼ原形である。


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