キハ58 501



1964年4月13日新潟鐵工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で新潟運転所へ配置された。同一ロット499〜501全車が新潟へ配置されている。同時期には急行「赤倉」等増強のため新潟には大量のキハ58増備されていた。当車は同一ロットの仲間とともに長く新潟で活躍し、急行「赤倉」をはじめ、「越後」「羽越」「いいで」「うおの」等で長く使用された。「57-11改正」での急行「赤倉」廃止後も引き続き「べにばな」「あがの」等の支線急行で使用されていたが、「59-2改正」での減車減便で余剰となり、1984年3月24日付けで富山へ転出した。富山ではキハ55系に代わり大糸線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は大糸線の他JR西日本へ移管された高山本線北部で活躍したが、第三セクター移管の決まっていた能登線との間で車両交換があり、七尾から高山線用に冷房キハ28・58が転入し、富山から非冷房の当車が1987年9月30日付で転出した。七尾では非冷房であることから普通列車をメインに使用されたが、1988年3月25日に能登線が「のと鉄道」へ移管され予定通り余剰となった。その後は1988年9月10日付で客車列車置き換えのため福知山運転所へ転出、山陰本線京都口の普通列車で使用開始した。この時期には山陰本線保津峡付近の新線開通に合わせ大量のキハ58系が福知山に集まってきていた。しかし1989年3月のダイヤ改正で急行の減車が行われた際に冷房車が捻出され、非冷房の当車は真っ先に1989年3月31日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。タイフォンカバーは新潟固有の竹槍状の筒を装備するが、尖り方が上下逆になっている。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、運転席側のみに設置されている。放送用ジャンパ受栓はステップ下部に設置されている。
側面では、乗務員室窓バランサー点検口は、新潟地区特有の蓋が取り付けられている。
屋根上は、水タンクが新潟地区特有の平らなのものに交換されている。
床下は、ほぼ原形である。


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