キハ58 506



1964年3月10日新潟鉄工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で山形機関区へ配置された。同一ロット506〜509全車が山形へ配置されている。山形では急行「ざおう」「もがみ」「べにばな」等、奥羽本線系の急行で使用された。1965年度には一部運用が新規配置の弘前へ移管され、同年度中に同ロットの兄弟を含む502〜506が弘前へ転出した。その後は東北北部の車両基地間での車両の交換が続き、1966年度には502〜506揃って青森運転所へ移動した。青森では1968年の東北本線電化による運用減と、更なる増備車により転出車が続出し、当車は北海道地区の夏季輸送用に5月14日付で一旦札幌へ転出したのち、9月7日付で高松へ転出した。高松では四国全域の急行列車で使用され、1972年には冷房化された。その後も高松で急行に使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後も用途は変わらず、1987年10月29日付でバケットシート化、1988年10月17日付で「四国色」へ塗り替えられた。しかし急行の廃止により用途変更し、1990年11月17日付で近郊化改造され1990年11月21日付で松山へ転出し、主に予讃本線の普通列車で使用された。しかしながら予讃線の電化により余剰となり、近郊化改造から日が浅いながら1993年3月31日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままで、運転席窓下の手すりも手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上にある。タイフォンカバーは、スリット状に改造されている。暖地仕様であり、デフロスタは装備しない。
側面は原形を良く保っているが、汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋が設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。また四国共通の改造で、乗降扉隅の丸窓が撤去され完全に無くなっている。
屋根上は、近郊化改造後に便所が撤去されているので、併せて屋根上の水タンクも撤去され、キハ28のような状態になっている。
床下では、後位側に汚物処理装置が取り付けられていたが、近郊化改造の際に便所撤去と共に撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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