キハ58 507



1964年3月10日新潟鉄工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で山形機関区へ配置された。同一ロット506〜509全車が山形へ配置されている。山形では急行「ざおう」「もがみ」「べにばな」等、奥羽本線系の急行で使用された。東北地方では車両の増備に伴い車両の転配が続き、東北本線全線電化の「43-10改正」時に、盛岡の800番台車と入れ替わる形で当車は兄弟の508とともに盛岡へ転出した。盛岡では東北本線の幹線急行で国鉄末期まで使用された。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」後は釜石線内のみとなった急行「陸中」や、田沢湖・釜石・山田・花輪線の普通列車で使用された。1985年より急行「陸中」にも冷房車が入るようになり、当車は専らローカル用となりそのままJR東日本へ継承された。JR化後は1988年12月に盛岡色へ変更となり、1991年4月には機関が新潟製DMF13HZへ換装された。引き続き盛岡周辺の山岳路線で使用されたが、1995年1月の阪神淡路大震災で東海道本線が普通になった際、播但線経由の臨時列車運転のため一時期JR西日本福知山運転所へ貸し出され、前記の臨時快速や急行「丹後」「但馬」で使用され異彩を放った。復興後は盛岡へ戻るが、東北本線系統の普通列車の701系電車化が進み運用数が減少し、当車は1995年9月18日付で廃車となった。

前面は、前面補強は国鉄時代の盛岡地区標準的な施工で、運転室側・助手席側ともにWP50対応の切り欠きがある。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去された、JR東日本標準スタイル。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準の、ステップ上部へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面は、概ね原形であり、乗降ドア下部の小窓は鉄板で塞がれている。当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。
床下では、複線用スノープロウを付けている。エンジンは、防火対策・車両更新の際に新潟鉄工製DMF13HZへ交換され、それに伴い機関予熱器が撤去されている。油タンクは原形のままである。


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