キハ58 508




1964年3月10日新潟鉄工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で山形機関区へ配置された。同一ロット506〜509全車が山形へ配置されている。山形では急行「ざおう」「もがみ」「べにばな」等、奥羽本線系の急行で使用された。その後キハ58系の増備と共に東北北部では車両の交換が相次ぎ、東北本線全線電化の「43-10改正」時に、盛岡の800番台車と入れ替わる形で当車は兄弟の507とともに盛岡へ転出した。盛岡では東北本線の幹線急行で使用され、1972年頃には東北地区では珍しく冷房化されるも、冷房車は秋田に集められることになり冷房化後すぐの1974年3月25日付で秋田へ転出した。秋田では急行「しらゆき」「おが」の指定席で優先的に使用された。秋田では東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」が廃止となることから、当車は地方急行の冷房化に回り、11月15日付で古巣の山形機関区へ移動となった。山形では急行「べにばな」「月山」「もがみ」等で使用された。その後国鉄末期にかけ山形地区では急行の削減が行われるが、当車は引き続き山形に残留し、最後まで残った急行「月山」で使用され、そのままJR東日本に継承された。JR化後も引き続き急行「月山」に使用された。1991年3月16日付で、山形運転区が山形新幹線開業準備の関係で廃止されるのに伴い、当車は新庄運転区へ転出したが運用実態は同じであった。1991年9月には機関換装された。1991年より急行「月山」のアコモ改造されることとなるが、当車はアコモ改造の対象から外れ、普通列車で主に使用されるようになる。また、1990年代前半には東北地域本社色へ変更された。しかし急行「月山」は1992年7月1日より快速に格下げされ、またアコモ車であったキハ28を快速「南三陸」の指定席車両へ転用することとなり、アコモ車は編成中1両のみとなった。更に山形〜新庄間で増結車が連結されることとなり、この増結運用に当車が長く使用された。しかし、1997年には飯山線のキハ110系化で追われた車両が新庄へ転入し、当車は1997年9月7日付で小牛田へ転出し快速「南三陸」で使用されるようになる。「南三陸」は当時転入したキハ40系による置き換えが進んでおり、小牛田では長く活躍せず、2000年4月3日で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは原型のWP35のままであるが、手すりの位置は左右共に若干下に下がっている。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去された、JR東日本標準スタイル。水切りは撤去されていない。デフロスタは1990年時点では両側に設置されていたが、1992年には運転席側が熱線ガラスに変更され撤去されている。テールライトは原型の外ばめ式のままである。タイフォンも原型のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準の位置にある。制御用ジャンパ受栓はタイフォンの左右にある。貫通扉に快速「南三陸」「いでゆ」用ヘッドマーク受けが残っているが、当車はその取り付け位置が若干低い変形車である。
屋根上は標準的な冷房車のままである。
側面は、機関換装時に機関冷却水給水口が埋められている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、鉄板で塞がれている。それ以外は概ね原型である。
床下では、機関は、コマツ製のDMF11HZへ換装されている。油タンクは原型のままである。スノープロウは複線用を取り付けている。



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