キハ58 509




1964年3月10日新潟鉄工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で山形機関区へ配置された。同一ロット506〜509全車が山形へ配置されている。山形では急行「ざおう」「もがみ」「べにばな」等、奥羽本線系の急行で使用された。東北地方では車両の増備に伴い車両の転配が続いたが、当車は同一ロットの他車とは異なり山形に留まり続け、東北新幹線開業に伴う「57-11改正」まで使用された。当改正後も引き続き山形に残留し、非冷房車であることから米坂線や陸羽西線等の普通列車で使用された。昭和61年3月には秋田局管内での運用移管・車両交換があり、1986年3月3日付で秋田へ転出した。秋田では主に奥羽本線・男鹿線・田沢湖線の普通列車に使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は主にローカル輸送に使用され、1991年3月19日には弘前へ転出するが、1992年2月19日には再び秋田へ戻っている。秋田復帰時に機関がコマツ製DMF11HZへ換装され、前後して塗装も秋田色へ変更されている。1996年3月には秋田新幹線工事のため田沢湖線が全面運休となり、また701系投入により電化区間普通列車の電車化も進み、1997年6月2日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は助手席側のみ撤去された、JR東日本標準スタイル。水切りは撤去されていない。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。タイフォンは原型のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準の位置にある。制御用ジャンパ受栓はタイフォンの左右にある。デフロスタは、運転席側のみに付いている。
屋根上は、ほぼ原型のままである。
側面は、機関換装時に機関冷却水給水口が埋められている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。汚物処理装置が取り付けられており、その点検蓋が側面に設けられている。それ以外は概ね原型である。
床下では、機関は、コマツ製のDMF11HZへ換装されている。油タンクは原型のままである。スノープロウは複線用を取り付けている。後位側に汚物処理装置が取り付けられている。



キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る