キハ58 511



1964年2月21日富士重工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で山形機関区へ配置された。当ロットは1両のみである。山形では急行「ざおう」「もがみ」「べにばな」等、奥羽本線系の急行で使用された。東北地方では車両の増備に伴い車両の転配が多かったが、当車は山形に留まり続け、東北新幹線開業に伴う「57-11改正」まで使用された。当改正後も引き続き山形に残留し、非冷房車であることから米坂線や陸羽西線等の普通列車で使用された。昭和61年3月には秋田局管内での運用移管・車両交換があり、1986年3月3日付で秋田へ転出した。秋田では主に奥羽本線・男鹿線・田沢湖線の普通列車に使用されたが、、「61-11改正」時には秋田局管内で再び車両交換があり、当車は1986年10月29日付で弘前へ転出し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は主に五能線・花輪線のローカル輸送に使用され、1990年頃には塗装が弘前色へ変更された。しかし1990年より始まったキハ110系の新製による車両転配で余剰となり、1993年9月27日付で廃車となった。廃車後はサハリンへ譲渡された。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は両方とも撤去され、1990年代のJR東日本では珍しい。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。タイフォンは原形のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近にある。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
側面は、400番台以降の乗降扉下部の丸窓が埋められ、車体中央客室窓間下にサボ挿しが取り付けられている以外は概ね原形である。
床下では、複線用スノープロウを取り付けている以外はほぼ原形である。


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