キハ58 512



1964年2月28日富士重工製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で山形機関区へ配置された。同一ロット512・513両車が山形へ配置されている。山形では急行「ざおう」「もがみ」「べにばな」等、奥羽本線系の急行で使用された。東北地方では車両の増備に伴い車両の転配が多かったが、当車は山形に留まり続け、東北新幹線開業に伴う「57-11改正」まで使用された。当改正後も引き続き山形に残留し、非冷房車であることから米坂線や陸羽西線等の普通列車で使用された。昭和61年3月には秋田局管内での運用移管・車両交換があり、1986年3月3日付で秋田へ転出した。秋田では主に奥羽本線・男鹿線・田沢湖線の普通列車に使用されたが、、「61-11改正」時には秋田局管内で再び車両交換があり、当車は1986年10月29日付で弘前へ転出し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は主に五能線・花輪線のローカル輸送に使用され、1990年3月には機関が新潟製DMF13HZへ換装され、同時期に塗装も弘前色へ変更された。1994年には、奥羽本線内普通列車の701系電車化と、花輪線運用の秋田への統合により弘前のキハ58系は消滅し、当車は書類上一旦1994年12月3日付で秋田へ転属するが、秋田で使用されることは無く、そのまま1995年12月28日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は両方とも残存している。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。タイフォンは原形のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準、テールライトの外側付近にある。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
側面は、機関換装時に機関冷却水給水口が埋められている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、鉄板で塞がれている。それ以外は概ね原形である。
床下では、機関は、新潟製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。スノープロウは複線用を取り付けている。


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