キハ58 514



1964年3月16日富士重工製の6-1次車で、昭和38年度第二次債務で大分運転区へ配属された。同一ロット514〜516のうち当車のみ大分へ配置された。1964年1月〜3月に新製されたキハ58は大半が東北地区へ配置されており、同一ロット中1両のみ大分へ配置された当車は、同じような状況の510と共に目を引く存在であった。大分では急行ひまわり」「ゆのか」の他、豊肥本線・久大本線系統の急行「由布」「火の山」で活躍した。島内転配の多い九州では珍しく転属も無く大分で過ごし、1970年6月に冷房化されている。しかし「59-2改正」で大分地区で急行の削減が行われた際に余剰が発生し、当車は1984年6月25日付で高松へ転属した。高松では元高知区のキハ55に代わり土讃本線の普通列車で使用されるようになった。しかし国鉄最後の「61-11改正」でキハ185系投入による特急格上げによりキハ58系に大量の余剰が発生し、汚物処理装置付きのキハ58が捻出されたことから当車はJRへ継承されず、1987年2月10日付で廃車された。

前面は、大分時代に小倉工場で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりが若干位置が下がっているのは、九州の標準形態である。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォンの下部で左右離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ栓納め取り付けられておらず、ケーブルは標識灯掛け等に引っ掛けられていた。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面はおおむね原形である。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下も、ほぼ原形である。


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