キハ58 520



JR東日本 会津若松運輸区に配置され、只見線で最末期まで使用されたキハ58のうちの1両。

1964年4月13日富士重工製の6-1次車で、昭和38年度第二次債務で小牛田機関区(陸羽東線・石巻線管理所)へ配属された。同一ロットでは521が同じく小牛田へ配置された。小牛田では東北本線の急行「陸中」、「たざわ」等で使用された。521とともにしばらくは東北北部を転々とし、1964年度には青森運転所へ移動するが、1965年度は小牛田機関区へ戻っている。小牛田では急行「たざわ」等北東北の幹線急行に使用されていたが、東北新幹線開業の「57-11改正」で用途を失い、磐越西・東線・只見線のキハ55系を置き換えるため、1982年11月に郡山機関区へ転出し、そのままJR化を迎えた。JR化後は、1987年の会津線廃止で余剰となり、1988年3月25日に小牛田へ戻り新設の快速「南三陸」等で使用開始した。小牛田時代の1991年3月に機関がコマツ製DMF11HZへ換装された。1992年には小牛田区に他区所からキハ58系冷房車が転入し、当車は再び活躍の場を只見線に移すべく、1992年3月13日付で郡山運転所へ転出した。1993年には只見線運用が移管され1993年12月1日付で会津若松運転区へ転出した。この時期に東北地域本社色へ変更されている。そのまま只見線のキハ40系化まで活躍し、2000年2月1日付で廃車となった。

外観は、塗装以外は原型をよく保っている。
前面は、正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強は東北地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルである。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは内ばめのままである。放送用ジャンパ受栓はステップの上部へ移設されている。小牛田時代に快速「南三陸」「いでゆ」用のヘッドマークステイを貫通扉に取り付けられている。
屋根上は列車無線アンテナ及び只見線用の衛星アンテナが取り付けられている以外は、ほぼ原形のままである。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板で塞がれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原形を保っている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。スノープロウは単線用を取り付けている。


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