キハ58 521



1964年4月13日富士重工製の6-1次車で、昭和38年度第二次債務で小牛田機関区(陸羽東線・石巻線管理所)へ配属された。同一ロットでは521が同じく小牛田へ配置された。小牛田では東北本線の急行「陸中」、「たざわ」等で使用された。しばらくは東北北部を転々とし、1964年度には青森運転所へ移動するが、1965年度は秋田機関区へ移動し、1966年度には盛岡へ移動、1967年度には秋田へ戻り、1968年度には弘前へ移動した。この弘前が安住の地となり、急行「深浦」等で長らく使用された。東北新幹線開業の「57-11改正」で急行は廃止されるが、引き続き残った快速「深浦」や快速「八幡平」で使用され、そのままJR東日本に継承された。JR化後も主に五能線・花輪線のローカル輸送に使用され、1990年12月には機関が新潟製DMF13HZへ換装され、同時期に塗装も弘前色へ変更された。1994年には、奥羽本線内普通列車の701系電車化と、花輪線運用の秋田への統合により弘前のキハ58系は消滅し、当車は書類上一旦1994年12月3日付で秋田へ転属するが、秋田で使用されることは無く、そのまま1995年12月28日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は両方とも残存している。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。タイフォンは原型のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準、テールライトの外側付近にある。屋根上は、ほぼ原型のままである。
側面は、機関換装時に機関冷却水給水口が埋められている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、鉄板で埋められている。それ以外は概ね原型である。
床下では、機関は、新潟製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは原型のままである。スノープロウは単線用を取り付けている。


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