キハ58 522




1964年3月20日新潟鐵工製の6-2次車で、昭和38年度利用債で長崎機関区へ配置された。同一ロット522〜523両車が長崎へ配置されている。長崎では急行「いなさ・弓張」等長崎本線系統の急行で使用されたが、早くも1964年度中には大分へ転属し、急行「由布」「火の山」「西九州」等の横断急行で使用されるようになった。1970年頃には冷房化されている。その後も長く大分で兄弟の523と共に活躍したが、JR化直前の1987年3月に急行の減車及び他区の経年車を置き換えるため人吉へ転出し、人吉の109・119が廃車となった。そしてそのままJR九州へ継承された。人吉では急行「くまがわ」で使用されたが、1988年には人吉区が熊本へ統合され、当車も熊本へ移動した。その後は1989年8月10日付で九州色化され、ローカル使用が主となった。1993年には再び肥薩線運用が人吉へ分離され、当車は1993年3月18日付で人吉へ転出し、さらに1993年6月25日付でワンマン化された。その後は一時期人吉地区の伝統工芸品をモデルにした、「きじ馬列車」塗装となったが、1997年頃には九州色へ復元され、また同年にキハ200系の熊本地区への追加投入による車両の入れ替えがあり、1997年11月19日付けで鹿児島へ転出し、同地区のワンマン車統一に用いられた。鹿児島では主に指宿枕崎線・肥薩線で使用され、また2000年以降も使用する車両として、2000年5月2日には汚物処理装置の取り付けも行われたが、最後は2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。放送用ジャンパ受栓は、九州では珍しく、原型のステップ一体型のままである。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。貫通扉には快速で使用していたヘッドマーク掛けが残っている。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化の際に洗面所が撤去され、この部分の小窓が撤去されている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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