キハ58 525



1964年4月21日新潟鉄工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で青森運転所へ配属された。同一ロット524〜526のうち、525・526が青森へ配置された。青森では新設された急行「みちのく」を中心に幹線急行で使用された。しかし早くも1966年度には車両増備及び運用移管による転配が相次ぎ、当車は1966年度中に526とともに弘前へ転出した。弘前では急行「みちのく」の大鰐編成で使用された。しかし東北本線の全線電化で急行「みちのく」が廃止され、一部仲間は盛岡等へ転属するが、当車は引き続き五能線直通の急行「深浦」等で活躍した。しかし1970年には新潟からの転入車と交代し、秋田へ転出した。秋田では急行「おが」「羽越」などで活躍し、1973年からは運用移管で「しらゆき」にも充当されるようになった。そしてそのまま国鉄末期まで活躍したが、東北新幹線開業の「57-11改正」で急行が廃止され、当車は1982年11月19日付で長野へ転出した。長野ではキハ55を置き換え、飯山線で活躍するようになった。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後まもなく塗装が飯山色へ変更され、機関も比較的早期の1989年11月にカミンズ製DMF14HZへ換装された。1990年より始まったキハ110系投入による車両転配では、飯山線に冷房車が転入したことから当車は新潟地区へ転出することになり、1991年12月17日付で新津へ転属した。新津転属後は磐越西線や米坂線で活躍したが、1994年の磐越西線へのキハ110系投入により非冷房の当車は余剰となり、1995年11月1日付で廃車となった。

新潟色ながら秋田時代の面影が強く、個性的な車であった。
前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は両方とも残存している。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。タイフォンは原型のシャッター式であり、新潟では少数派である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準の位置に設けられていたが、後に後期車標準のステップ下部へ戻されている。
屋根上は、ほぼ原型のままであるが、国鉄時代は常磐線急行「みちのく」の名残で、常磐無線を取り付けていた。
側面は、機関換装時に機関冷却水給水口が埋められている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は残存している。秋田時代に汚物処理装置を取り付けていたので、側面に点検蓋がある。
床下では、機関は、カミンズ製のDMF14HZへ換装されている。油タンクは原型のままである。スノープロウは単線用を取り付けている。秋田時代に汚物処理装置を取り付けていたが、長野では使用しないので、後に撤去されている。


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