キハ58 530



1964年5月4日新潟鉄工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で山形機関区へ配属された。同一ロット527〜530のうち、529・530が山形へ配置された。東北地方では車両の増備に伴い車両の転配が続いたが、当車は同一ロットの他車とは異なり山形に留まり続け、東北新幹線開業に伴う「57-11改正」まで使用された。当改正後も引き続き山形に残留し、非冷房車であることから米坂線や陸羽西線等の普通列車で使用され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は運用移管等の都合で1987年度末に秋田へ転出し、1989年10月に機関が新潟製DMF13HZへ換装された。1990年より始まった、キハ110系投入による大幅な車両転配の中で、1992年2月20日付けで弘前へ転出し、五能線・花輪線で使用されるようになった。同時期に塗装も弘前色へ変更されている。1994年には、奥羽本線内普通列車の701系電車化と、花輪線運用の秋田への統合により弘前のキハ58系は消滅し、当車は書類上一旦1994年12月3日付で秋田へ転属するが、秋田で使用されることは無く、そのまま1995年12月28日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは強化型のWP50に更新されているが、手すりの位置は変わっておらず、土崎工場の標準スタイルである。正面窓上の通風口は両方とも残存している。テールライトは後期車のように外ばめ式に改造されている。タイフォンは原型のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準、テールライトの外側付近にある。
屋根上は、ほぼ原型のままである。
側面は、機関換装時に機関冷却水給水口が埋められている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、原形のまま残っている。
床下では、機関は、新潟製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは原型のままである。スノープロウは単線用を取り付けている。


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