キハ58 535



1964年5月26日新潟鉄工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で新潟運転所へ配属された。同一ロット533〜536全車が新潟へ配置された。新製後すぐ房総地区海水浴臨に使用されることになり、7月4日付で千葉へ転出し、終了後の9月12日付で新潟へ戻った。新潟では急行「赤倉」をはじめ、「越後」「羽越」「いいで」「うおの」等で長く使用された。「57-11改正」での急行「赤倉」廃止後も引き続き「べにばな」「あがの」等の支線急行で使用されていたが、「59-2改正」での減車減便で余剰となり、1984年3月24日付けで富山へ転出した。富山ではキハ55系に代わり大糸線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は1988年4月23日付で大糸線色へ変更され引き続き活躍した。1990年以降JR東日本区間へ乗り入れる運用が減少し余剰となり、1992年11月30日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口は左右とも現存しているが、水切りは撤去されたJR西日本金沢支社スタイルである。タイフォンカバーは新潟固有の竹槍状の筒を装備する。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、運転席側のみに設置されている。放送用ジャンパ受栓はステップ一体型である。制御用ジャンパ受栓は、冷房車のごとく左右離れた位置へ移設されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が残存している。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新潟地区特有の蓋が取り付けられている。
屋根上は、水タンクが新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下では、単線用スノープロウを付けている以外はほぼ原形である。


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