キハ58 545



1964年5月16日富士重工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で青森運転所へ配属された。同一ロット544・545両車とも青森へ配置された。青森では新設された急行「みちのく」を中心に幹線急行で使用された。青森では増備車投入による車両の入れ替えが多く、1965年には小牛田へ転出した。小牛田では急行「たざわ」等北東北の幹線急行に使用されていたが、東北新幹線開業の「57-11改正」で用途を失い、磐越西・東線・只見線のキハ55系を置き換えるため、1982年11月20日付で郡山機関区へ転出し、そのままJR化を迎えた。JR化後も引き続き前記の路線で郡山をベースに活躍した。その後1990年より始まったキハ110系投入により余剰となるが、1991年3月17日には水郡線営業所へ転出し、水郡線で使用されるようになった。これは水郡線はキハ110系化されることが決まっていたが、これに先立ち冷房キハ58を小牛田へ転出させるための予備車を確保するためであった。そのため水郡線での活躍は短く、1992年12月1日付で廃車となった。

前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強は国鉄時代の郡山工場標準タイプである。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルである。当車は標識灯掛けと同じ高さにある小手すりのうち運転席側の位置が通常より高く、位置の下がった運転席窓下手すりとの距離が非常に近いという変形車である。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは内ばめのままである。放送用ジャンパ受栓はステップ一体式である。
屋根上は急行「みちのく」時代の常磐無線アンテナの台座が残っている。
側面はほぼ原形であるが、乗降扉隅の丸窓は鉄板で塞がれている。
床下では、複線用スノープロウを取り付けている以外はほぼ原形である。


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