キハ58 547



1964年5月22日富士重工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で青森運転所へ配属された。同一ロット546〜548全車とも青森へ配置された。青森では新設された急行「みちのく」を中心に幹線急行で使用された。青森では増備車投入による車両の入れ替えが多く、1965年には小牛田へ転出した。小牛田では急行「たざわ」等北東北の幹線急行に使用されていたが、東北新幹線開業の「57-11改正」で用途を失い、磐越西・東線・只見線のキハ55系を置き換えるため、1982年11月20日付で郡山機関区へ転出し、そのままJR化を迎えた。JR化後も引き続き前記の路線で郡山をベースに活躍した。その後1990年よりキハ110系が大量投入されると当車は余剰となるが、他区のエンジン換装に伴う予備車確保で活用されることになり、1991年3月16日付で新潟へ転出した。転出後1991年11月1日には組織改正で新津運輸区所属となったが、磐越西線や米坂線の快速・普通列車で使用された。しかし機関換装も終わり予備車としての役割も終わり、1992年6月1日付で廃車となった。

前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強は国鉄時代の郡山工場標準タイプである。ワイパーは強化型のWP50に更新されており、そのため正面窓下の手すりの位置が大きく下がっているのは、郡山工場の標準スタイルである。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは当地区にしては珍しく、外ばめ式に改造されている。放送用ジャンパ受栓はステップ一体式である。
屋根上はほぼ原形のままである。
側面はほぼ原形であるが、乗降扉隅の丸窓は鉄板で塞がれている。
床下では、単線用スノープロウを取り付けている以外はほぼ原形である。


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