キハ58 553 → キハ58 7207



1964年6月26日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度民有債で宮原機関区に新製配置された。同ロット552〜554のうち、553・554が宮原に配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。1985年3月14日には、宮原機関区廃止に伴い向日町運転所に統合となるが、引き続き急行「みささ・みまさか」「たかやま」で使用されたほか、急行「丹波」「志摩」で使用された。61-11改正では急行「丹波」「志摩」が廃止されるのに伴い余剰となり、1986年11月1日付で豊岡機関区へ転出し同区の若番車と交代した。豊岡では急行「丹後」「但馬」等で使用され、そのままJR西日本に継承された。1990年には急行運用を一部福知山へ移管し、当車も福知山区へ転出した。1992年頃から急行指定席車のグレードアップを行うことになり、当車はその種車に抜擢され、1992年7月30日付でアコモ改造を実施しキハ58 7207へ改造された。その後は急行の指定席車で活躍したが、1996年3月16日の山陰本線綾部電化で急行「丹後」は全廃となり、当車を始め福知山の急行用キハ58系は用途を失う。その後は波動用車として引き続き福知山に残り、臨時列車等で使用された。1999年10月2日の舞鶴線電化で福知山への気動車配置が廃止されることとなり、同日付で全車豊岡へ移動した。しかし転出後間もなく、老朽化と波動輸送縮小で2000年3月31日付で廃車となった。

外観的には、関西地区の形態を色濃く残している。
前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。正面窓上の水切りは原型のままであるが、通風口は撤去されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態であった。制御ジャンパ受栓は、タイフォンの左右に設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。前面は概ね宮原時代の特徴を色濃く残していた。
側面は、概ね原型を保っている。
屋根上はすべての通風器が交換され、ハーフガーランドベンチレータとなっている。水タンクは、原型のままである。
床下では、宮原時代は複線用スノープロウを付けていたが、福知山転出時に取り外されている。


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