キハ58 554



1964年6月26日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度民有債で宮原機関区に新製配置された。同ロット552〜554のうち、553・554が宮原に配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。1985年3月14日には、宮原機関区廃止に伴い向日町運転所に統合となるが、引き続き急行「みささ・みまさか」「たかやま」で使用されたほか、急行「丹波」「志摩」で使用された。61-11改正では急行「丹波」「志摩」が廃止されるのに伴い余剰となり、1986年10月29日付で広島運転所へ転出し同区の若番車と交代した。広島では「ちどり・みよし・たいしゃく」で使用され、そのままJR西日本に継承された。1990年度中に芸備線急行の整理により余剰となり、急行「さんべ」用として小郡へ転出した。直後の1991年5月10日付で緑色ベースの広島急行色Uに塗装変更された。その後1997年には急行「さんべ」が廃止され、当車を含む急行用車は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され普通列車で使用された。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。山口では次第に他区から転入のキハ40系で置き換えが進み、当車は老朽化のため2003年11月30日付で廃車となった。

外観的には、関西地区の形態を色濃く残している。
前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。正面窓上の通風口・水切りは原型のままである。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態であった。制御ジャンパ受栓は、離れた位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。前面は概ね宮原時代の特徴を色濃く残していた。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。その他は概ね原型を保っているが、広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されていることが特徴である。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上はすべての通風器が交換され、断面五角形の箱型通風器となっている。これはJR西日本では広島支社に多い特徴である。水タンクは、原型のままである。
床下では、宮原時代は複線用スノープロウを付けていたが、小郡転出時に取り外されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


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