キハ58 555




1964年9月25日新潟鐵工製の6-3次車で、昭和39年度本予算で大分機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは555〜558の4両が揃って同日に大分へ配置されている。大分では急行「由布」「火の山」等久大本線・豊肥本線急行で活躍した。この4両は国鉄末期まで大分で急行用として活躍し、そのままJRに継承された。国鉄末期からJR化初期には急行のグレードアップが図られたが、当車はその対象から外れ、原型シートのまま1988年度には九州色化され、普通列車専属となってしまった。大分では近郊化等されることはなかった。JR化後初期に、「マイタウン列車」用に逆台形のヘッドマークステーを取り付けた。1997年に大分で使用されるキハ58系は他区所から転入の近郊形に置き換えられることとなり、多くは廃車されたが、当車は兄弟の556と共に普通列車及び臨時列車用として1997年11月29日付で筑豊篠栗鉄道部へ転出した。筑豊篠栗鉄道部では主に臨時用として使用され、2000年以降も引き続き使用される車両となり、2001年4月27日付で汚物処理装置が取り付けられた。2001年には、熊本に操配用のキハ58を配置することになり、当車が抜擢され2001年10月6日付で熊本へ移動した。その後老朽化により2006年9月28日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原型からは随分雰囲気が変わっている。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1970年度であると思われる。
前面は、あまり手を加えられていない。前面補強は未施工でのっぺりとした表情。ワイパーも原型のWP35のまま、拭き腕も1本タイプで、前面窓下の手すりもそのまま原型であり、非常にすっきりしている。制御用KE53ジャンパ受栓の位置やステップ等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいや通風口は原型のまま残っている。当車は長らく大分時代の逆三角形ヘッドマークステイを取り付けていたが、熊本へ移動後、フック式のヘッドマークステイに取り替えられた。しかし、逆三角形ステイを外した跡がくっきりと残っていた。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また、JR化後比較的初期より乗降ドア点検蓋が、キハ40系のようなユニット式に改造されている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。


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