キハ58 557 → キハ58 5001




1964年9月25日新潟鐵工製の6-3次車で、昭和39年度本予算で大分機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは555〜558の4両が揃って同日に大分へ配置されている。大分では急行「由布」「火の山」等久大本線・豊肥本線急行で活躍した。大分担当急行は勾配路線が多く冷房化が遅れたが、キハ65の投入を待って1971年度に冷房化された。この4両は国鉄末期まで大分で急行用として活躍したが、当車は兄弟の558と共に「60-3改正」よりグレードアップ指定席車として使用されることとなり、1985年2月6日付でアコモ改造の上「キハ58 5001」へ改番された。そしてそのままJR九州へ継承された。1989年11月24日には機関換装の試験車に選ばれ、前位側のエンジンが新潟鉄工製DMF13HZへ換装され、同時に塗装も九州急行色へ変更された。1990年3月10日には博多発着「えびの」用として竹下へ転属した。1991年3月16日付で竹下気動車区は直方気動車区へ統合されるが、運用の実態は同じであった。1993年3月のダイヤ改正で博多発着の急行「えびの」は廃止され、筑豊本線のローカル輸送用になった。しかしながら、機関換装は九州のキハ58系では定着せず、次第にその特殊装備と普通列車用に向かない車内装備から真っ先に淘汰対象となり、1996年2月27日付で廃車となった。

イラストは急行「えびの」で活躍していた当時の1992年頃のものである。
前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ栓納めの位置等、九州標準の形態。放送用ジャンパ栓納めは、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいや通風口は原形のまま残っている。
屋根上は排気口が屋根より若干飛び出しており、九州標準の形態である。廃車前の時点で通風器が交換・撤去されていたかどうかは不明である。
側面はおおむね原形であるが、末期に乗降ドア下部の丸窓が残存していたのか撤去されていたのかは不明である。また、運転席側窓バランサー点検蓋が新製時のままなのか、前面補強時に蓋が構築し直されていたのかも不明である。
床下では、前位側の機関が新潟鉄工製のDMF13HZに交換されたとの事であるが、写真等の記録が残っていないのでイラストは標準的なDMF13HZ搭載車の形態で描いている。廃車直前の時点ではスカートが取り付けられていたと思われるが、当時の記録が残っていないので詳細は不明である。


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