キハ58 559 → キハ58 5513




1964年10月3日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度本予算で和歌山へ配置された。同一ロット559〜562のうち、559・560が和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1980年3月3日付で、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は急行「かすが」用に奈良区へ転出する。1984年10月1日の奈良線電化により奈良機関区の気動車配置が廃止され、当車は10月中に亀山機関区へ移動した。「60-3改正」では急行「きのくに」の特急格上げにより和歌山配置車は疎開のため大量に亀山へ転入し、その際に当車は玉突きで1985年3月21日付けで豊岡へ転出した。しかし豊岡での活躍は長くなく、国鉄最後の「61-11改正」で福知山線が電化され、急行「丹波」の廃止により1986年11月1日付で敦賀機関区へ転出し、そのままJR西日本に継承された。JR化後は1987年度に近郊化改造され普通列車専属となり、1988年7月6日付けで小浜色へ塗装変更された。また1991年3月には組織改正で小浜鉄道部が発足し、同区所属となった。しかし1991年7月には七尾線和倉電化、七尾以遠の第三セクター化による車両転配で余剰となり、播但線の客車列車置き換えに活用されることになり、1992年3月9日付でロングシート化の上キハ58 5513へ改造された。その後は姫新線・播但線の普通列車で使用され、1993年9月8日に「姫路色」へ変更された。しかしながら、需要の旺盛な播但線は電化されることになり、1998年3月14日ダイヤ改正で電化のため姫路のキハ58系は全て余剰となった。そして当車は1999年4月19日付で廃車となった。

外観は天王寺局時代の形態を色濃く残している。
前面は、高砂工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター付きのままである。制御用ジャンパ受栓は左右離れた位置に付いており、ステップは原型の位置のままである。テールライトは原型の内ばめ式のままである。正面窓上の水切りは撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されている。乗降扉下部隅の丸窓は撤去され存在しない。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。後位側の水タンクは角型のものに交換されている。
床下は、ほぼ原型である。


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