キハ58 560




JR西日本の急行「能登路」専用車。

1964年10月3日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度本予算で和歌山へ配置された。同一ロット559〜562のうち、559・560が和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1980年3月に381系の増備で急行が減少し、七尾線のキハ55系置き換えのため1980年10月8日付で七尾機関区へ移動し、急行「能登路」及び普通列車で長く使用された。そのままJR西日本へ継承された。七尾では近郊化改造されず急行専属車となり、1990年1月16日付で七尾急行色へ塗装変更された。1991年9月1日の七尾線電化後も引き続き能登路で使用されることになり、1991年11月13日付で、延命工事・汚物処理装置取り付けを行い、塗装も黄色ベースの能登路色となって活躍した。その後急行能登路の廃止まで活躍し、2002年3月改正で能登路は廃止され余剰となる。そしてそのまま2002年3月31日付で廃車となった。

外観は、金沢局と関西地区の特徴が混ざっていた。
前面は、高砂工場タイプの前面補強が施工されている。正面窓上の水切り・通風口は延命工事の際に撤去されている。延命工事施工時に熱線入りガラスに変更されたのでデフロスタは装備しない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されているのは金沢地区でよく見られた形態。テールライトは、運転室側のみ外ばめ式に改造されており、金沢地区でよく見られた形態である。新製時からのシャッター付である。制御用ジャンパ受栓は左右離れた位置に付いており、ステップは原型の位置のままである。放送用ジャンパ受栓は、関西タイプのテールライトとタイフォンの間付近に移設されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。正面雨どいが撤去された関係で、乗務員室側窓上部に水切りが追加されている。運転室窓のバランサー点検蓋は新製時の形態のままである。乗降ドアの戸袋点検蓋が、後期車のような横長のものに更新されている。
屋根上は延命時にすべての通風器がガラベンに交換されている。水タンクは、金沢地区標準の角型台形のものに改造されている。
床下機器は1990年代以降の松任工場標準の、グレー台車になっている。油タンクは角型の新型に更新されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。



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