キハ58 562



1964年10月3日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度本予算で水戸へ配置された。同一ロット559〜562のうち、当車のみが水戸へ配置された。水戸では急行「いいで」「いなわしろ」「いわき」の磐越東・西線の急行をはじめ急行「奥久慈・ときわ」で長く使用され、1970年中盤には冷房化された。国鉄末期の「55-10改正」「57-11改正」で磐越東線・西線の急行運用から水戸区は順次撤退したが、当車は引き続き水郡線で使用され、「60-3改正」で水戸の急行運用全廃後は主に水郡線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後は1989年頃に水郡線色へ変更され引き続き水郡線で使用されたが、1992年3月よりキハ110系が水郡線に投入されることになり、当車は冷房車であることから引き続き活用されることになり、1992年3月14日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」の冷房化に貢献した。また転属に先立ち、1990年9月にエンジンがコマツ製DMF11HZへ換装された。小牛田へ転出後しばらくは水郡色で活躍したが、程なく「東北地域本社色」へ変更された。以後快速運用を中心に活躍したが、1999年の快速「月山」廃止により新庄のキハ58系が小牛田に転入したことから捻出され、1999年12月1日付で廃車となった。

外観的には、水戸地区の標準形態を保っている。
前面は、前面補強が水戸時代に施工されている。助手席側の通風口のみ撤去されている。正面窓は熱線入りガラスとなりデフロスタは撤去されている。ワイパーは原形のWP35のままである。タイフォンカバーは原形のシャッター付きである。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されている。制御ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置へ設置されており、冷房用電源ジャンパ受栓も初期冷房車のまま、低い位置に設置されている。これは水戸・新潟でよく見られた形態であった。放送ジャンパ受栓は、後期車同様、ステップと一体化されたものとなっている。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原形を保っている。
屋根上はキハ58型では数少ない、クーラー配置が常磐無線対応の位置となっている。このタイプのキハ58は、当車の他に578・579・1038・1039の5両のみであった。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。また、水戸時代から複線型スノープロウを取り付けている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る