キハ58 569



JR九州で最末期まで使用されたキハ58形の1両。特に当車は九州で最後まで急行色に塗り戻されていたため絶大な人気を誇っていたものの、惜しくも2015年3月18日付で廃車、解体されてしまっている。

1964年12月4日帝国車輌製の6-3次車で、昭和39年度本予算で長崎機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは570が同日に長崎へ配置されている。長崎では主に長崎本線系の急行列車に使用された。当車は生誕から現在まで九州のみに配置された。九州では車両基地間での車両交換が多く、転属も多かった。1965年度には570と共に竹下気動車区へ転出するが、引き続き九州北部で活躍する。1970年には冷房化されたものと思われるが詳細は不明。竹下には長く在籍し、急行「出島・弓張」をはじめ、北九州地区で長く使用された。長崎本線電化後も引き続き竹下に留まり、1983年3月23には長崎へ転出するも、1984年2月3には再び竹下へ戻っている。竹下では北九州北部の普通・快速列車で使用された。竹下在籍のままJR化を迎えるが、1989年にはシーサイドライナー運用拡大のため古巣の長崎へ3度目の転出となった。長崎では1992年の「由布」「火の山」車両転入により快速「シーサイドライナー」のアコモ改善が図られることになったが、当車もアコモ改善の対象となり、1993年2月20日にリクライニングシート化・外部塗装のSSL化(濃紺)して小倉工場を出場した。1998年頃には快速「シーサイドライナー」の意匠変更により明るいブルーベースの塗装へ変更。キハ66系に置き換えられるまで長崎で活躍した。2000年以降JR九州ではトイレの汚物処理装置設置を100%とすべく急速に設置を進め、当車も2001年3月26日に小倉工場で取り付け工事施工。2001年10月06日には筑豊本線・篠栗線電化でキハ66系が長崎へ転出し快速「シーサイドライナー」が置き換えられ余剰となり、当車は波動用として大分へ転出した。大分転出後しばらくはSSL塗装のまま活躍したが、間もなく新設されるトロッコ列車「TORO-Q」に抜擢され、2002年10月16日付で塗装変更及び専用ヘッドマークステーの取付等の改造がなされた。2010年には、当時キハ58系自体貴重な存在になっていたことから急行色へ復元されることになり、2010年1月29日付で小倉工場を出場した。その後は波動輸送や団体・臨時列車に使用されたが、2015年3月18日付で廃車・解体された。車齢は51年であった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、九州特有の改造や特殊塗装により、原型からは随分雰囲気が変わっている。急行色へ復元されているが細部が異なっている。KE53ジャンパ線受は本来クリーム色で塗装されるが、当車は裾帯と同じ赤11号塗装、また側面アルミ窓枠も赤色に塗装されており、非常に違和感のある仕上がりである。これは以前2000年ミレニアムで急行色に復元された5007と同じ現象であった。前述のとおり冷房化年月日は不明であるが、おそらく1970年代前半であると思われる。
前面は、国鉄時代の小倉工場標準タイプの前面補強がされていると思われるが境界の仕上がりが滑らかでほとんど判別できない。ワイパーはWP50へ更新され、ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側タイフォン上部・レールライト横へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら九州特有の形態のものを装備している。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。また、側扉点検蓋はキハ40系のようなユニット式へ交換されている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。



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