キハ58 571



1964年12月4日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度本予算で和歌山へ配置された。同一ロット569〜572のうち、571・572が和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1971年頃には冷房化されている。1980年3月3日付で、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は急行「かすが」用に奈良区へ転出する。1984年10月1日の奈良線電化により奈良機関区の気動車配置が廃止され、当車は10月中に亀山機関区へ移動した。亀山では引き続き急行「かすが」の他、他車とともに関西本線・紀勢本線系の普通列車で使用されるようになった。JR化の際はJR西日本に継承されることになり、そのまま亀山配置のまま継承された。JR化後すぐの信楽線廃止・1989年3月の片町線電化後も残り、関西本線で使用された。関西本線は1990年よりワンマン化されるようになり、当車も1990年2月14日付でワンマン化された。しかし関西本線はキハ120系化されることになり、捻出された当車は客車列車の置き換えのため1994年8月24日付けで米子へ転出した。米子ではワンマン設備撤去の上、山陰本線の快速・普通列車で使用されるようになった。途中1997年3月には組織改正で後藤所属となるが運用の実態は変わらない。その後は1999年に舞鶴線電化により福知山からキハ47が転入したことにより余剰となり、2000年2月3日付で廃車となった。奇しくも途中生き別れた兄弟の572とは、わずか2日違いの廃車日であった。(572は2000年2月1日付伊勢区で廃車)

前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーはシャッター付きからスリット状へ改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の水切りは原型のままであるが、後藤で検査時に通風口が撤去されている。
側面では、運転室窓のバランサー点検蓋は、後期車の新製時からの蓋が設置されている。亀山ワンマン時代の車外スピーカーは撤去され見当たらない。
屋根上は、通風器が全てハーフガーランドベンチレーターへ交換されている。水タンクは原型である。
床下は、ほぼ原型である。


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