キハ58 574



1964年12月18日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度本予算で和歌山へ配置された。同一ロット573〜576のうち、573・574が和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1980年3月に、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は急行「かすが」用に奈良区へ転出するも、「57-11改正」で減車・縮小があり当車は1982年11月19日付で和歌山へ戻った。「60-3改正」では特急「くろしお」増発で急行「きのくに」は全廃となり、当車は兄弟の572〜574共に1985年3月13日付で伊勢へ転出し、紀勢本線普通列車の気動車化に使用された。国鉄末期には伊勢運転区は廃止し亀山機関区へ統合する動きがあり、1986年3月で規模縮小され、当車は1986年3月3日付けで亀山へ移動した。そして国鉄最後の「61-11改正」後に、亀山のキハ58運用が縮小された際に七尾へ転属し、当区の老朽若番車を置き換え、そのままJR西日本へ継承された。JR化後すぐ近郊化改造され普通列車専業となる。七尾では1988年度に七尾普通色へ変更され、七尾線の普通列車で使用されたが、1990年に小浜との間で車両交換があり、当車は1990年度で新設された小浜鉄道部へ移動した。移動前後の1991年5月22日付でワンマン化され、塗装も小浜色となった。小浜線では長く使用され、末期には「若狭路博」のラッピング車両になったが、2003年3月15日の小浜線電化で用途を失い、2003年9月12日付けで廃車となった。


当車は名古屋地区と関西地区の特徴が混ざっていた。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小になっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター付きのままである。制御用ジャンパ受栓の位置、ステップの位置は名古屋工場標準タイプである。正面窓上の水切り・通風口は撤去されている。小浜ではワンマン化に伴う放送ケーブルの追加は行われていない。放送用ジャンパ栓の位置は、関西タイプのテールライトとタイフォンの間付近へ移設されている。これは、亀山機関区は天王寺鉄道管理局ながら、後年距離の近い名古屋で検査・改造を行うケースが多く見られたことによる。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去されており、乗務員室窓に水切りが追設されている。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の金沢地区の特徴。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。また水タンクは台形のものに更新されている。以上は金沢地区の標準である。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。また、油タンクは角型の新型に更新されている。


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