キハ58 579



1964年12月25日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度本予算で水戸へ配置された。同一ロット577〜579のうち、578・579が水戸へ配置された。水戸では急行「いいで」「いなわしろ」「いわき」の磐越東・西線の急行をはじめ急行「奥久慈・ときわ」で長く使用され、1970年中盤には冷房化された。国鉄末期の「55-10改正」「57-11改正」で磐越東線・西線の急行運用から水戸区は順次撤退したが、当車は引き続き水郡線で使用され、「60-3改正」で水戸の急行運用全廃後は主に水郡線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR東日本に継承された。JR化後は1988年の真岡線転換時に捻出され、兄弟の578とともに山形へ転出、急行「月山」の冷房車として使用されるようになった。その後1991年には、キハ110系投入による大規模な車両の転配があり、他区所から転入したキハ58がアコモ改造され急行「月山」に使用されるようになることから、当車は快速「南三陸」「いでゆ」の冷房化のため、1991年3月16日付で小牛田へ転出した。また転属直後の1991年6月にエンジンがコマツ製DMF11HZへ換装された。以後快速運用を中心に活躍したが、小牛田での活躍は長続きせず、1995年に仙台地区への701系電車投入、快速「いでゆ」の整理等で余剰となり、1995年11月1日付で廃車となった。当車は急行色のまま小牛田で疎開留置されていることから、急行色のまま廃車になったものと思われる。

外観的には、水戸地区の形態が色濃く残っている。
前面は、前面補強が水戸時代に施工されている。助手席側の通風口のみ撤去されている。運転席側にデフロスタがあるが、取付台座が水戸地区特有のものとなっている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い正面窓下の手すりの位置が少し下がっている。タイフォンカバーは原型のシャッター付きである。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されている。制御ジャンパ受栓は、初期冷房車の位置へ設置されており、冷房用電源ジャンパ受栓も初期冷房車のまま、低い位置に設置されている。これは水戸・新潟でよく見られた形態であった。放送ジャンパ受栓は、後期車同様、ステップと一体化されたものとなっていたが、山形転出後に秋田地区標準の、テールライト横に移設されている。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原型を保っている。
屋根上はキハ58型では数少ない、クーラー配置が常磐無線対応の位置となっている。このタイプのキハ58は、当車の他に578・579・1038・1039の5両のみであった。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。また、新潟時代から複線型スノープロウを取り付けている。


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