キハ58 588




JR東日本 会津若松運輸区に配置され、只見線で最末期まで使用されたキハ58のうちの1両。


1965年1月28日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度本予算で郡山機関区へ配属された。同一ロットでは589が宮原へ配置されており、郡山配置は当車のみであった。郡山では東北本線南部の急行「いいで」、「いなわしろ」等で使用され、最後まで郡山地区を離れることはなかった。「57-11改正」で急行が大削減された後は、キハ55系の置き換えとして磐越西・東線・只見線で使用され、そのままJR化を迎えた。JR化後は、1990年11月に機関がコマツ製DMF11HZへ換装され、1993年頃に東北地域本社色に変更された。1993年12月1日に、組織変更で只見線運用は会津若松運輸区に移管され、そのまま只見線のキハ40系化まで活躍し、1999年6月30日付で廃車となった。

外観は、塗装以外は原型をよく保っている。
前面は、助手席側正面窓上の通風口が撤去されており、晩年のJR東日本の標準スタイルである。前面補強はJR化後の郡山工場タイプであり、台座の付いた正面窓下手すり、台枠付近のアンチクライマーが特徴である。非冷房車でこのタイプの前面補強は珍しい。ワイパーは強化型のWP50に更新されている。タイフォンカバーは新製時からのシャッター付である。テールライトは内ばめのままであった。放送用ジャンパ受栓は原型のままである。デフロスタは以前は運転席側・助手席側に取り付けられていたが、運転室側は熱線入りガラスに交換され、助手席側のみ残ったタイプである。
屋根上は列車無線アンテナ及び只見線用の衛星アンテナが取り付けられている以外は、ほぼ原型のままである。
側面は乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。それ以外は原型を保っている。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されており、同時に機関予熱器が撤去されている。油タンクは角型のものに交換されている。


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