キハ58 589



1965年1月28日富士重工製の6-3次車で、昭和39年度本予算で宮原機関区に新製配置された。同ロット588・589のうち、当車のみ宮原へ配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。1985年3月14日には、宮原機関区廃止に伴い向日町運転所に統合となるが、引き続き急行「みささ・みまさか」「たかやま」で使用されたほか、急行「丹波」「志摩」で使用された。61-11改正では急行「丹波」「志摩」が廃止されるのに伴い余剰となり、1986年10月30日付で広島運転所へ転出し同区の若番車と交代した。広島では「ちどり・みよし・たいしゃく」で使用された。広島時代も長く、最後の急行「みよし」が廃止されるまで、色を変えながらずっと在籍した。まず1989年12月28日付で赤色ベースの広島急行色Tに、1992年9月19日付で緑ベースの広島急行色Uに、そして1997年頃に現行の広島急行色Vに変更された。2001年頃に編成両数減により余剰となり、米子地区で検査期限切れの車両と交代すべく、2001年1月14日付で後藤へ転出した。その後後藤ではキハ126系投入による運用数の減により、2003年3月8日付で廃車となった。

前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。制御ジャンパ受栓は、離れた位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのも関西地区特有の形状。前面は概ね宮原時代の特徴を色濃く残していた。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。その他は概ね原型を保っているが、広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上はすべての通風器が交換され、断面五角形の箱型通風器となっている。これはJR西日本では広島支社に多い特徴である。水タンクは、原型のままである。
床下では、複線用スノープロウを付けており、これは急行「ゆのくに」を担当した宮原機関区の施工であると思われる。油タンクは角型の新型に更新されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


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