キハ58 591



1965年3月17日日本車輌製の6-3次車で、昭和39年度第二次民有で宮原機関区に新製配置された。同ロット590〜593のうち、591〜593が宮原へ配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。1985年3月14日には、宮原機関区廃止に伴い向日町運転所に統合となるが、引き続き急行「みささ・みまさか」「たかやま」で使用されたほか、急行「丹波」「志摩」で使用された。61-11改正では急行「丹波」「志摩」が廃止されるのに伴い余剰となり、兄弟の592・593は広島へ転出するが当車はJRへ継承されることなく、1987年2月1日付で廃車となった。JRへ継承されなかったキハ58では車齢が若いほうであった。廃車後は国鉄清算事業団へ継承されたが車齢が若いためか幸運にも復活することとなる。1990年に宮津線が北近畿タンゴ鉄道へ継承された際に、当鉄道では廉価版の団体・波動用車両導入を計画しており、当時キハ65に余裕が無かったこともありキハ58系の当車がその種車に抜擢される事になった。1990年3月頃に「レインボーリゾート」の中間車に改造され、KTR2001として再出発した。当車はエーデル化改造されたKTR2002と組んで4連で使用されたり、中間車のみの2両で波動用や時には普通列車の代走で活躍したりするようになった。しかしタンゴエクスプローラーが2編成に増備された1992年以降は次第に持て余すようになり、1996年3月の山陰本線電化に伴い電車特急と併結可能なKTR8000が5編成導入されたことにより余剰となり、老朽化も進んでいたことから1996年3月中に廃車となった。

前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。制御ジャンパ受栓は、タイフォンの左右に寄り添う位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のテールライトとタイフォンの間に移設されている。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのも関西地区特有の形状。前面は概ね宮原時代の特徴を色濃く残していた。
側面では、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は、北近畿タンゴ鉄道でブーメラン状の無線アンテナを取り付けられた以外は、冷房車の標準形態である。
床下では、後位側に汚物処理タンクが設置されている。宮原時代のスノープロウは北近畿タンゴ鉄道では取り外されている。


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