キハ58 594



関西地区で団臨や修学旅行用として2000年代まで使用された車両。

1965年2月6日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度第二次民有で宮原機関区に新製配置された。同ロット594〜596では、594・595が同日に宮原へ配置された。宮原では北陸本線〜七尾線直通の急行「ゆのくに」を筆頭に、支線区では姫新線の急行「みささ・みまさか」や、高山本線の急行「たかやま」を中心に使用された。北陸本線を活動範囲とするため、早い時期からスノープロウを取りつけていた。1985年3月14日には、宮原機関区廃止に伴い向日町運転所に統合となるが、相変わらず急行「みささ・みまさか」「たかやま」で使用されたほか、急行「丹波」「志摩」で使用された。「61-11改正」では急行「丹波」「志摩」が廃止されるが、引き続き急行「たかやま」「みまさか」等で使用され、そのままJR西日本へ継承された。その後は急行の削減により次第に団体輸送・波動輸送用となり関西地区のみならず西日本各地へ運用された。1996年3月には組織改正で向日町運転所は京都総合車両所と名称を変えたが、運用の実態は同じであった。しかしながらキハ58系の老朽化により波動輸送がキハ181系化されることになり、2003年6月12日付けで廃車になった。

外観的には、関西地区の標準形態を保っている。
前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。正面窓上の通風口は撤去されているが、水切りは残っている。運転室側にデフロスタが取り付けられている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態であった。制御ジャンパ受栓は、離れた位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。前面は概ね宮原時代の特徴を色濃く残していた。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、原型のままである。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下では、複線用スノープロウを付けており、これは急行「ゆのくに」を担当した宮原機関区の施工であると思われる。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


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