キハ58 596



JR西日本金沢地区で、急行色塗り替え車として活躍した車両。

1965年2月6日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で和歌山機関区に新製配置された。同ロットでは、594・595が同日に宮原へ配置されており、和歌山配置は当車のみであった。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で活躍した。1980年3月に、一部急行の受持ち分担が行われ、当車は急行「かすが」用に奈良区へ転出する。1984年10月1日の奈良線電化により奈良機関区の気動車配置が廃止され、当車は亀山機関区へ移動した。亀山では引き続き急行「かすが」の他、他車とともに関西本線・紀勢本線系の普通列車で使用されるようになった。JR化の際はJR西日本に継承されることになり、そのまま亀山配置のまま継承された。JR化後すぐの信楽線廃止後も残ったが、1989年3月の片町線電化で余剰となり、状態の良い当車は七尾運転区へ転出し、七尾線で使用されるようになった。転出後の1989年12月4日には白ベース青帯の七尾急行色へ変更され、急行「能登路」で使用された。1991年9月1日の七尾線電化後も引き続き能登路で使用されることになり、1991年8月23日付で、延命工事・汚物処理装置取り付けを行い、塗装も黄色ベースの能登路色となって活躍した。その後急行能登路の廃止まで活躍し、2002年3月改正で能登路は廃止され余剰となる。しかし当車はキハ28 2119と共に急行色へ塗り戻され、波動用・イベント用として引き続き金沢地区で活躍した。しかし、老朽化や、他のキハ58が急行色へ塗り戻されたことから当車は2008年11月17日付で廃車となった。

前面は、前面補強は和歌山時代由来の関西地区タイプである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン左右に分かれたタイプ。放送ジャンパ受栓は、関西地区出身ながら、原型の位置のままであるのが非常に珍しい。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは内ばめ式のままで、末期の金沢地区では比較的珍しい形態。ワイパーは強化型のWP50へ更新されいるが、窓下手すりは原型のままで、関西地区出身、晩年金沢地区にしては珍しい形態である。延命工事時に正面窓雨どい、通風口が撤去され窓周りがすっきりしている。同じく延命工事時にデフロスタは熱線入りガラスに交換されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。その他は概ね原型を保っているが、乗降ドアの点検蓋が、後期車のような横長のものに更新されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。正面雨どいが撤去された関係で、乗務員室側窓上部に水切りが追加されている。同窓のバランサー点検蓋は、後期車の新製時からの蓋に加え、下部に点検口が追加されているのは、金沢地区の標準形態であった。
屋根上は延命時にすべての通風器がガラベンに交換されたが、2000年代以降に中央寄りの2個が撤去されている。水タンクは、金沢地区標準の角型台形のものに改造されている。
床下機器は1990年代以降の松任工場標準の、グレー台車になっている。油タンクは角型の新型に更新されている。後位側では、汚物処理タンクが設置されている。


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