キハ58 597



1965年2月15日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット597〜601全車が和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1970年頃には冷房化されている。「60-3改正」では特急「くろしお」増発で急行「きのくに」は全廃となり、当車は兄弟の597〜599共に1985年3月14日付で伊勢へ転出し、紀勢本線普通列車の気動車化に使用された。国鉄末期には伊勢運転区は廃止し亀山機関区へ統合する動きがあり、1986年3月で規模縮小され、当車は1986年3月3日付けで亀山へ移動した。そして国鉄最後の「61-11改正」時に、当車は紀勢本線用としてJR東海に継承されることから1986年11月1日付で伊勢へ転出し、そのままJR東海へ継承された。伊勢では紀勢本線の普通列車で使用されたが、1989年のキハ11投入で大量の余剰車が発生し、保留車となる。1990年には予備車の確保のため美濃太田へ転出した。美濃太田ではキハ48系の冷房化に伴う予備車として在籍したが、他の予備車が次々と廃車となる中、1991年3月16日には名古屋へ転出し、快速「みえ」化され同列車で使用されるようになった。1994年の快速「みえ」へのキハ75系投入による車両整理の際に当車は残留組となり、伊勢へ転属し「みえ」色のまま再び紀勢本線で活躍するようになった。伊勢では急行色が多数を占めており、「みえ色」のままの当車は編成美を乱し嫌われる傾向にあった。そんな当車もJR東海キハ58系歳末期まで活躍し、最後は1999年のキハ75・キハ11の追加増備によるキハ58系全廃計画により1999年10月12日付で廃車となった。

当車は関西地区と名古屋地区の特徴が混ざった特徴のある形態である。
前面は、和歌山時代に前面補強が施工されているが、助手席側にもワイパーの切り欠きのあるタイプの板が使用されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、その際に運転席窓下の手すりは、これを避けるべく極小のものになっており名古屋地区の特徴に近いが、その位置は幌枠に寄っているという変形車である。制御用KE53ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置され、ステップは原形の位置のままである。放送ジャンパ受栓は、関西地区配置歴が長いにも関わらず、原形のステップ一体型のままである。タイフォンカバーは、原形のシャッター式のままである。テールライトは内ばめ式から、外ばめ式に改造されている。なお当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面では、ほぼ原形であるが、乗降ドア隅の丸穴が板で塞がれている。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。
床下機器は原形であるが、すべて灰色で塗装されているのは晩年の東海地区の特徴である。


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