キハ58 602



1965年2月22日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット602〜604のうち、当車のみが和歌山へ配置されたが、前ロットの596〜601とともにに大量に和歌山に新製された仲間の1両である。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1970年頃には冷房化されている。1982年8月9日には編成及び予備車見直しにより捻出され、キハ55やキハ35系置き換えのため亀山へ転出した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後すぐの信楽線廃止・1989年3月の片町線電化後も残り、関西本線で使用された。関西本線は1990年よりワンマン化されるようになり、当車も1990年1月9日付でワンマン化された。しかし関西本線はキハ120系化されることになり、捻出された当車はキハ45系の置き換えのため1994年12月3日付けで小郡へ転出した。小郡転出後は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され、ワンマン設備も撤去された。1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1999年3月31日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは当初からシャッター付きで落成しており、そのまま最後までシャッター付きであった。テールライトは外ばめ式に改造されている。正面窓上の通風口・水切りは原型のままである。種別表示幕の横に、列車無線アンテナを挿す筒が設置されており、これは亀山配置車の名残であった。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。運転室窓のバランサー点検蓋は、後期車の新製時からの蓋が設置されている。広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。亀山ワンマン時代の車外スピーカーはそのまま残されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下は、ほぼ原型である。


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