キハ58 608




1965年2月27日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度早期債務で大分機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは606〜609が同日に大分へ配置されている。大分では急行「由布」「火の山」等久大本線・豊肥本線急行で活躍した。国鉄末期まで大分で急行用として活躍し、そのままJRに継承された。国鉄末期からJR化初期には急行のグレードアップが図られたが、当車はその対象から外れ、原型シートのまま1988年度中には九州色化され、普通列車専属となってしまった。1991年11月7日には長崎との間で車両交換があり、近郊形のキハ58 624が長崎から大分へ転入し、当車は長崎へ転出した。しかし、1992年7月にはキハ185系購入による急行の特急格上げによりアコモ改造車が大量に長崎へ転入したことから、当車は1992年7月15日付で鹿児島へ転出した。鹿児島では当初指宿枕崎線等で使用されていたが、1994年2月28日付で近郊化及びワンマン化され、宮崎運用専用車となり、日南線で活躍するようになった。2001年には日南線をキハ31形及びキハ40系に置き換えとなり、当車は鹿児島運転所本所へ移動し、肥薩・吉都・指宿枕崎線で使用されるようになった。また当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、1999年12月28日付で汚物処理装置の取り付けが行われた。しかし運用数の減少により余剰となり、2005年3月14日付けで廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられているが、大分時代の逆三角形ヘッドマークの取付用ビスの跡が残っていた。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。また、JR化後比較的初期より乗降ドア点検蓋が、キハ40系のようなユニット式に改造されている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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