キハ58 610




1965年4月1日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度早期債務で大分機関区へ配置された。当ロットは当車1両のみである。大分では急行「由布」「火の山」等久大本線・豊肥本線急行で活躍した。国鉄末期まで大分で急行用として活躍し、そのままJRに継承された。国鉄末期からJR化初期には急行のグレードアップが図られたが、当車はその対象から外れ、原型シートのまま1988年9月9日には九州色化され、普通列車専属となってしまった。その後1989年7月10日付で近郊化、1991年12月3日付でワンマン化され、引き続き久大・豊肥本線でワンマン運用に使用された。1994年のキハ125形投入で車両転配が発生し、当車は鹿児島地区のワンマン化のため、1994年3月度に鹿児島運転所(宮崎運用)へ転出、日南線で活躍するようになった。2001年には日南線をキハ31形及びキハ40系に置き換えとなり、当車は鹿児島運転所本所へ移動し、肥薩・吉都・指宿枕崎線で使用されるようになった。また当車は2000年以降引き続き当面使用する車両となり、2000年8月2日付で汚物処理装置の取り付けが行われたが、最後は2001年10月の筑豊・篠栗線電化で大量の気動車が捻出されたことから余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、九州タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが若干下に移動しているのは九州では標準形。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、九州標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、JR九州化後の小倉工場標準である、助手席側テールライトの右へ移設されている。タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。正面窓上の雨どい及び水切りが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルである。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられているが、大分時代の逆三角形ヘッドマークの取付用ビスの跡が残っていた。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは九州共通の標準仕様である。また排気口が屋根より若干飛び出しているのも九州標準。水タンクは原型である。
側面はおおむね原型であるが、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているが、助手席側のみの半欠けとなっている。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備している。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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