キハ58 614



1965年4月1日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で秋田機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット614・615両車とも秋田へ配置されている。秋田では急行「おが」「羽越」等の奥羽本線・羽越本線の幹線急行で使用され、青森運転所のキハ58系が移管された1973年以降は急行「しらゆき」で遠く金沢まで顔を出した。1973年以降この急行「しらゆき」指定席車は冷房化されることになり、当車はその車に抜擢され冷房化された。その後は「しらゆき」の指定席で優先的に使用された。秋田では東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」が廃止となることから、当車は地方急行の冷房化に回り、11月15日付で山形機関区へ移動となった。山形では急行「べにばな」「月山」「もがみ」等で使用された。その後国鉄末期にかけ山形地区では急行の削減が行われ、当車は「60-3改正」急行「陸中」が冷房化される際に活用され、1985年3月14日付で盛岡へ転出した。そして1987年3月には盛岡色へ変更され、そのままJR東日本に継承された。JR化後も引き続き急行「陸中」で使用され、1989年には先行的に機関が新潟製DMF13HZへ換装された。1990年よりキハ110系が投入されキハ58系は捻出されたが、当車は引き続き盛岡に留まり、普通列車用となった。但し、盛岡ではキハ58のみの配置であったので冷房は使用できなくなった。しかしながら、東北本線運用の一部が701系電車化され運用数が減少し、1994年8月10日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、手すりの位置は変わっておらず秋田地区の標準形態。デフロスタは運転席側に設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンは原形のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は土崎標準の、テールライトの外側付近へ移設されている。制御用ジャンパ線受は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
側面は、当地区では側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められ存在しない。
床下では、機関は、新潟鉄工製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。国鉄時代より汚物処理装置を装備している。スノープロウは単線用を取り付けている。


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