キハ58 619



盛岡地区で団体列車「エーデルワイス」として活躍した車両。

1965年4月3日新潟鉄工製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で盛岡機関区へ配置された仲間の1両。同一ロット616〜619のうち、617〜619が盛岡へ配置されている。同時期に617〜629が一挙に盛岡に新製配置されている。盛岡では東北本線の幹線急行で使用され、1972年頃には東北地区では珍しく冷房化されるも、冷房車は秋田に集められることになり冷房化後すぐの1974年3月25日付で秋田へ転出した。秋田では急行「しらゆき」「おが」の指定席で優先的に使用された。秋田では東北新幹線開業に伴う「57-11改正」で急行「しらゆき」「おが」が廃止となることから、当車は地方急行の冷房化に回り、11月15日付で山形機関区へ移動となった。山形では急行「べにばな」「月山」「もがみ」等で使用された。その後国鉄末期にかけ山形地区では急行の削減が行われるが、当車は引き続き山形に残留し、最後まで残った急行「月山」で使用され、そのままJR東日本に継承された。JR化後の1988年には盛岡地区で気動車ジョイフルトレインを登場させることとなり、当車はその種車に選ばれ、盛岡配置の1527と交換する形で1988年3月16日付けで盛岡へ転出し、1988年9月度に「エーデルワイス」として出場した。当初は白地をベースに赤・黄・青の大胆な塗装であったが、1990年4月の機関換装時に薄紫を主体としたおとなしい塗装へ変更された。機関は新潟製DMF13HZへ交換された。その後も北東北の団体・臨時列車に使用されたが、老朽化のため2002年11月1日付で廃車となった。

前面は、国鉄時代の土崎で前面補強が施工されておいる。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、手すりの位置は変わっておらず秋田地区の標準形態。「エーデルワイス」改造時に助手席側の窓が大型の展望窓に改造されているが、広島の「ふれあいパル」と異なり、貫通扉は残置されている。またこの大型窓は曲面ガラスを使用したパノラミックウィンドウとなっている。デフロスタは運転席側に設置されている。テールライトは原型の内ばめ式のままである。タイフォンも原型のシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、秋田地区標準の位置にある。制御用ジャンパ受栓は左右離れた位置にある。
屋根上は後位側の通風器が撤去されている以外は、標準的な冷房車のままである。
側面は、前位側の乗降扉、戸袋窓、後位側の窓1枚が埋められて,、前位側元デッキの位置には他と同じ1段上昇窓が追加されている。また汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。400番台以降の乗降扉下部の丸窓は、埋められており存在しない。
床下では、機関は、新潟鉄工製のDMF13HZへ換装されている。油タンクは末期のJR東日本標準の、角型のものに交換されている。国鉄時代より汚物処理装置を装備している。運転席下部に、初期車のごとくサービス電源用のサイリスタインバータ箱が設けられている。スノープロウは単線用を取り付けている。



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